韓国式トンカツを語りたくなったので聞いて欲しい
思えば、第一印象はひどいものでした。
おそらく入った店がよくなかったのでしょう。繁華街のランチ時なのに先客はなく、全体にうらさびれた雰囲気でした。当時の日記にはこう書かれています。
「悪い予感の中、まずはひと口食べてみる。無言のまま咀嚼する。眉間やこめかみあたりにシワが寄り始め、飲み込むと同時にひとつの結論に至る。まずい」
1999年9月29日(水)。留学生として韓国に渡ったばかりの私が、初めて韓国式トンカツを食べたときの感想です。値段は2900ウォン。大学の学食が1500ウォンの時代ですから、そこまで破格値とも言えませんが、当時行きつけの食堂では石焼きビビンバが3000ウォンだったので、肉料理としてはだいぶ割安です。これで美味しかったら、足しげく通ったのかもしれません。
ただ、いま振り返ってみると、必ずしも店のせいばかりではなさそうです。私自身も韓国式トンカツをよく知らず、後々になって、
「なるほど、こういうものだったのか」
と理解して大好きになりました。日本のとんかつとは似ているようで、やっぱり別物なのです。
名称にしても韓国語には「つ」の音がなく、発音上はトンカスが近いです。当初は日本から伝わって定着しましたが、その経緯はちょっと複雑です。


■ 韓国式トンカツの歴史
古い資料をひっくり返してみると、どうやら20世紀のはじめには朝鮮半島でも「カツレツ」が富裕層の食卓にあがっていたようです。小説家の徳冨蘆花が書いた旅行記『死の蔭に』を読むと、1912年の時点で、釜山停車場(現在の釜山駅)の2階食堂にチキンカツレツがあったことがわかります。1923年に発行された雑誌『開闢 第23号』には、ポークカツレツの記述が見えます。
西洋料理のカツレツが、日本で和風のとんかつに変化した過程は諸説ありますが、1920年代がひとつの転換点になるようです。ナイフとフォークではなく、箸で食べられるように包丁で切って提供し、パンではなくごはんと味噌汁を添える工夫が生まれました。1930年代にこのスタイルが普及し、東京の上野や浅草あたりで流行となります。
それが植民地下の京城(現在のソウル)に伝わって、1930年代後半に増えるのですが、現在の韓国に残る「トンカス」の名称はこの時期に定着したと考えられます。
ただ、料理そのものは少し話が違うんですね。




現在の韓国でトンカスというと、和風と洋風の2種類があり、私が留学時代に食べたのは洋風のほう。大きな丸皿に、薄いけれどもサイズは立派なトンカスが載り、ウスターソースではなくドミグラスソースをかけます。皿の端にはちょい盛りのごはんと、たくあん、オーロラソースをかけたキャベツサラダ。これをナイフとフォークで食べるのが昔ながらのトンカスです。
1980年代に流行したので、現在ではイェンナル(昔風)トンカスとも呼ばれます。当時、トンカスや、オムライス、スパゲティなどは軽洋食(キョンヤンシク)と総称され、町中に専門店がたくさんありました。
この時代の話は韓国ドラマにもよく登場します。
私が思い浮かんだのは、『恋のスケッチ~応答せよ1988~』。第4話ではジョンファン一家の外食として、第12話ではドクソンたちが連れだって、軽洋食店にトンカスを食べに行く場面がありました。
ドラマといえば『ムービング』もトンカスを食べたくなる作品で、ボンソクの母ミヒョンが「南山(ナムサン)トンカス」を営んでいました。ソウルの南山に行くと、実際にトンカスの専門店が立ち並んでいて、当初は「技士食堂(職業ドライバー向け食堂)」として1990年代から人気を集めました。
その後、2000年代に入ると、日本から「とんかつ新宿さぼてん」が進出して和風のスタイルがぐんと拡大。現在はイェンナルトンカスと日本式のとんかつが共存しています。




■ 基地の町のレストランで
韓国で洋風のトンカスが主流となるのは1960年代から。これまた諸説あるところではありますが、朝鮮戦争後に駐屯した米軍の影響が大きかったのではと考えられています。現在も残る老舗店を見ると、米軍基地の近くにあったり、基地内のレストランで修行をしたシェフが始めたりと、洋食のエッセンスが色濃く含まれています。
私がこれまで食べてきた中でも、いちばん印象に残っているのはソウルの北、東豆川(トンドゥチョン)で食べたトンカスでした。軍事分界線に近い基地の町。1969年創業の洋食レストラン「56ハウス」は、初代が米軍基地内のレストランで修行を積んだそうです。
トンカスを注文すると、マッシュルームスープ、サラダ、ガーリックトースト、スパゲティがセットになって出てきました。トンカスのスープといえば、味のないコーンスープにコショウたっぷりかけるのが定番ですが、マッシュルームスープとは驚きましたね。それでいて、しっかりカクトゥギ(大根の角切りキムチ)と、たくあんがついてくるのも韓国ならでは。
メインのトンカスには、ドミグラスソースのほかにマスタードソースがかけられ、野菜のグリルとマカロニサラダが添えられていました。揚げたてのトンカスはパン粉のサクサク感が香ばしく、豚肉はしっとり柔らかく、自家製のソースはコクのある甘さがあって、トンカスにこんな世界があったのかと驚きました。




■ 新大久保でトンカスを食べるなら
韓国にいるとたまにトンカスが食べたくなります。ソウルの南山まで繰り出すにせよ、地元民に愛される町の大衆店にせよ、どこでもよいのですが、個人的には1980年代あたりに青春時代を過ごした人と一緒に行くのが好きです。
「初めてのデートで緊張しながらトンカスを食べたんだよ」
みたいな話を聞きながら、タイムスリップをした気分に浸ります。
つい先日も、「韓国のトンカスはチープなイメージ」と語る会社員さんと、「私の若い頃は高級料理だった」と語る上司さんの世代ギャップトークを拝聴しながら、新大久保の韓国式刺身専門店でトンカスを食べました。
それはもう至福の時間。




トンカスって専門店だけでなく、前述の技士食堂や、粉食店(軽食堂)、ホプ(ビアレストラン)などいろいろな店で食べられますが、なぜか刺身店でも一品料理としてメニューに載っていたりします。大人と一緒にやってきた子ども向けのメニューとも聞きますが、海鮮尽くしの中にあると、箸休めになって意外によかったりします。
この記事を書くために、新大久保であちこちトンカスを食べてみましたが、このとき食べた刺身店のトンカスがいちばん口に合いました。ランチの人気メニューにもなっていて、ミニサイズのメウンタン(魚のアラ汁)がついてくるのも嬉しいところ。新大久保の駅からは少し離れますが、大久保通り沿いから少し路地に入った「水産市場」という店をぜひ訪ねてみてください。
舟盛りで出てくるド迫力の刺身もおすすめ。
コースで頼むと、カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け)や、サンナクチ(テナガダコの踊り)、天ぷら、煮付けなどとともに、立派なサイズのトンカスがついてきます。


